2番 紀三井寺・3番 粉河寺

明日火曜日に傘マークが出ていたので、西国三十三所の続きで2番紀三井山金剛宝寺と3番風猛山粉河寺に出かけた。18青春切符はこれで4日目になる。

三十三所巡礼を支えた宗教者は、半僧半俗の修験者山伏、熊野比丘尼、勧進聖、三十三所巡礼行者などである。しかし、信仰上・経済上大きな役割を占めていたにもかかわらず、一山寺院内での位置づけは低いものであった。那智山の如意輪本堂(青岸渡寺)の本願であった那智阿弥(穀屋七本願)が、近世幕府の遊行僧に対する取り締まりの宗教政策などで衰退したように、2番札所の紀三井山金剛宝寺でも、勧進聖が活動をしていた穀屋寺が同じように抑圧され、山門境内にあった穀屋寺を仁王門の下に移転させられ、一子院から末寺に格下げされた。また穀屋寺の収入であった観音御影の札を配札販売も、本坊が配札を始めたので穀屋は衰退してしまった。

この金剛宝寺にも三十三所巡礼の供養塔がある。札所で穀屋寺の元の場所と供養塔の場所を聞いたのだがわからない。若手の僧を呼び出してきたが、結局わからなかった。生憎住職と副住職は四国八十八所を回られて不在で、墓所が上部にあるとのことで自力で多宝塔付近を探してみることにした。宝篋印塔は多宝塔境内の大峰山八十八度の供養碑や六十六部の供養碑などと同じ場所にあったが、どうも元の場所から移動されているようだった。ただ板碑の供養塔はわからなかった。
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一応満足して次の3番札所風猛山粉河寺に向かう。紀三井寺駅15時1分発で粉河寺札所には16時30分間際に到着した。一応西国三十三所の観音像が安置されている六角堂と、丈六堂の間にある宝篋印塔の場所を確認して、金剛宝寺と同じように札所で聞いてみた。札所窓口の人はわからなかったが奥から出てきた人はご存知だった。そこで勧進聖の講義が始まっていた。粉河寺は天台宗で住職は四国には行かない。西国三十三所寺院の宗派は、南円堂と清水寺の法相宗を除いてすべて天台宗、真言宗の顕密寺院である。

真夏の暑さも少し和らぎ汗は出たが、今回は両寺とも本堂内で親しくお話が出来、楽しい巡礼二寺でした。

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